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エリート男子の高校国語

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4月になってうれしいのは、新しい教科書が手に入ること。
もちろん嫌いな数学の教科書以外だったけれど
特に国語の教科書はどんな作品を取り上げているのか気になりました。
親になっても、子供が持って帰る新しい教科書はわくわくしながらパラパラながめていました。
もう我が家に学生はいないので、そんな楽しみもなくなりました。
そんな時、新聞でこんな記事を見ました。

2019/3/24付日本経済新聞 朝刊の新井紀子さんの記事です。

新聞記事

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以下記事のサマリーです。

「論理国語」の導入で文学鑑賞に割く時間は減る。

この改定は「戦後最大の大改革」と言われている。

つまり長い間、高校国語はほとんど変わらず、文学鑑賞と古典・漢文の文法や解釈に時間を費やしてきた。

『こころ』『舞姫』『山月記』は全国ほとんどの高校の教科書に載っている。

この3作品の共通点は「エリート男子の苦悩と挫折」

戦後間もない昭和の時代の高校進学率から考えると対象となる生徒の層は「エリート男子」であり、主人公に共感を持つ作品を選ぶことは高く評価されていた。

現在、女子生徒が半数いる状況で、この作品の選択はふさわしいのか?

男性と女性では苦悩や挫折の形は違う。よりダイバーシティに配慮した多様な作品を取り上げることが望まれる。

文芸は継続いて学んでほしいが、新設される「論理国語」によって「事実について淡々と描かれた文書を正確に読解する力」をすべての生徒が身に着けいくことが先決だろう。

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たしかに『こころ』『舞姫』『山月記』は高校の教科書にありました。

子供たちの教科書にもありました。相変わらず、これなんだ、教科書の定番なのねと思っていました。

この3作品の持つ意味は、文学作品としての価値だと思っていました。

「エリート男子の苦悩と挫折」が共通点で、採択した当時の高校生の共感をもつものとして考えられていたとは。

そしてそれが70年という歳月を経ても変わっていなかったとは。

そんな視点で考えたことがなかったので、ビックリ!

でも、私の中でも高校生時代は「苦悩と挫折」を考える時期ということをなんとなく感じており、自分で読んでいた本もその種の本が多かったような気がします。

しかし、この記事の筆者は女性の視点から

エリート男子に尽くして妊娠した挙句捨てられた踊り子(舞姫)

詩人として名声を獲得したいという野心と己の実力との乖離から発狂した挙句、虎になった主人公の陰で貧窮する妻(山月記)

に女子生徒が共感したりロールモデルを見出したりすることは難しいだろう。

と指摘しています。

私自身は、文学作品の物語の主人公は男性の方が多いということから、教科書に採択される流れであり、教科書にふさわしい女性の苦悩と挫折の物語があるとは思っていなかったという思い込みがあったことに気が付きました。

教科書で出会う作品の意味ということを考えると、70年間固定化されていた作品ではなく、時代に合った作品を取り上げて、授業の中でディスカッションをする時間をとり、多様な意見を知るということをしてほしいと思います。

文学作品を正しく理解する、作者はここで何を考えていたのか?というような教える側が正解を持つ授業ではなく、文学作品は解釈の多様性を理解する時間にし、論理国語では、文章を論理的にとらえ、構造を理解し、事実を正しくとらえること、伝えることについて学ぶことをしてほしいと思います。

高校の国語の先生は、この変化を大変ととらえず、生徒の力を引き出すことを主体に取り組んでいただけることを願います。